オートメーション化
雨の日に拾われたタマさん。
その記憶があるのかないのか、雨の降る日にはよく 後ろ足立位で外を眺めている。
その思いのほか長い胴体をぼんやりと眺めながら 命を引き受ける重さをちょびっと感じたりする梅雨の午後。
タマさんが来てからというもの、ご飯の事がいつも頭にある。
仕事が押して遅くなると 当然の事ながらご立腹。
そのやけ食いっぷりと暴れっぷりが、心と身体によろしくないような気がしたので、先日とうとう自動えさやり機を購入した。
シャッターが二つついていて、タイマーをセットするとそのシャッターがかちょーんと開く仕組みである。これで最大2食を確保できる。
到着した日にためしに動かしてみたが、そのシャッター音に私のほうがびっくりした。
(こんな音が大きくてタマさんは大丈夫なのか?)
留守中、パニックに陥ったりしないのか?一抹の不安を胸に翌日 試しに夜ご飯をセットして仕事に出てみた。
帰宅後、器を見ると半分ほどお召し上がりになっている。
(…意外と 順応が早い。てか、空腹にはかえられないという事か)
まぁ、これで一安心である。私も心置きなく飲み歩ける…いや、タマさんも規則正しく食事ができて飢えに憤る事もなかろう。
だが、なにかがひっかかる。
これでは昔サスペンスによく出てきた、子供にお金を渡して「これで好きなモン買って食べな」と、やさぐれ気味に化粧をする夜の出勤前女性と同じではないか(あくまでドラマの女性の話であります)。
タマさんとはいえ、食育は大事である。ただでさえ、暴れん坊なのに加えてグレられたら手が付けられない。
(夕飯のオートメーション化は、「どうしても」の時だけにしよう)
反省したその日、夕飯をタマさんにあげる。
…が、ひとつ変化が生じていた。
「タマさん、おすわり」
ンキャー
「おすわりは?ご飯だよ?」
ンキャッ
そう。
唯一わたくしの言う事を聞く場面である、ご飯タイムのお座りをしなくなっていた。
(そんな事やってられるかぃっ)
…おすわりしなくても、いつでもご飯は食べられると認識させてしまったようだ。
便利さは時として 心から感謝の気持ちを奪う。
そして、もっともっとと欲望を増長させる。欲望の追求があったからこその、世界の発展である事は疑いようがない。
だが不便さを楽しむ様な、なんというか時をたゆたう様な「ゆるさ」を持っていたほうが もしかすると人は穏やかにすごせるのかもしれないと、うろうろと抗議し続けるタマさんを見ながら感じていた。